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都市伝説に秘められた謎

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コトリバコ

コトリバコの都市伝説を知っていますか? 感じで書くと『子取り箱』です。なんとなくいい感じのものではないということは、字を見ればなんとなく分かりますね。

2005年6月にインターネット上で初めて語られたこのコトリバコ。現在でも都市伝説化して語り継がれていますが、この話を聞くと……。

コトリバコとは?

コトリバコは美しい組木細工の箱で、簡単にあけられないようになっています。子供や女性の興味をそそりそうな外見をしています。でも、その正体は『呪い箱』なのです。

1860年代から約10年の間にいくつか作られた箱で、悲惨な差別や迫害を受けていた農村の人達によって作られました。貧しいので間引きも行われていて、迫害を受けて満足に仕事もできないため、村の人々は差別をする人らをとても恨んでいました。そこで島帰りのとある人物に、武器としてこのコトリバコの作り方を教わります。

赤ちゃん

簡単に開けられないよう、木を複雑に組み合わせて作った箱の中に、動物の雌の血を満たし、間引いた子供の一部を入れました。生まれたばかりの子供はへその緒と人差し指の先、内臓を絞った血を入れます。7歳までの子供だと、人差し指の先と内臓を絞った血、10歳までだと人差し指の先を入れ、フタをします。中に閉じ込めた子供の数で、箱の呼び方が変ります。

こうして子供を犠牲にしてまで箱を作らなければいけなかった迫害や差別は、相当なものだったのでしょう。

コトリバコの呪い

コトリバコは、女性と子供を取り殺す呪いの箱でした。子孫が絶えてしまう呪いです。箱のそばにいるだけで、内臓がちぎれ、苦しみぬいて息絶えていくのです。

組木細工

こうして作られたコトリバコは、庄屋の家に、迫害を受けていた村民からの誠意の印という名目で上納されたのですが、庄屋の家の女子供は皆、血を吐き、苦しみぬいて息絶えて、ひどい有様でした。

村民は、その地区の偉い人たちや周囲の地域に、今後自分達の地域には、一切関わらないで放っておいてほしいこと、これまでの怨みは晴れないけれど、放っておいてくれれば何もしないこと、庄屋に贈った箱は返すこと、もし仕返しをするのであれば、再びコトリバコの呪いを使うこと、周囲に、何故自分達を放置するのか、理由を決して言わないことを約束させました。そして、その村への干渉は一切なくなったのです。

にも関わらず、村民はコトリバコを作り続けました。箱は湿った暗い場所に、女子供を遠ざけて安置されていました。作り続けて13年目、監視の目を盗んで、11歳の男の子が箱を持ち出してしまいました。面白そうな箱だと思ったのでしょう。その日のうちに、その家の女子供が苦しみぬいて息絶えました。油断をすれば、村人にも危害が出ると、はじめて実感した村民は、箱を処分することにします。

箱の呪いは年々弱くなり、処分できる神社も決められていました。箱ごとに処分できる年が神社によって決められましたが、長くて140年かかります。班を作って1つのコトリバコを管理し、違う班のコトリバコの話しには触れてはいけないことになりました。もちろん、女子供を近づけてはいけません。こうして、村民は大きな責任を課せられ、しかも箱のことは口にしてはいけないという重荷を背負うことになったのです。

そのコトリバコが、2006年の倉庫の解体のときに出てきたとういうのが、このコトリバコの都市伝説のはじまりです。

全国に存在する箱

コトリバコと同様の箱は、全国にあったようです。

『呪い箱』『畜生箱』『たたり箱』……もっともっと数え切れないくらい存在します。

間引いた子供を使って作られた呪いの箱は、呪い目的に使う他にも、生活が苦しくて間引きを行わなければいけないという、良心の呵責から逃れるために、『怨むなら○○を怨め』との思いを込めていたのかもしれません。

なぜ都市伝説になったのか

コトリバコの話は、土地に伝わる古い民話で終わりそうな内容なのですが、なぜ都市伝説になったのでしょうか。

言い伝えられていた忌まわしい出来事の箱、コトリバコが出てきてインターネットで語られ、その話を聞いた女性や子供の多くが、腹痛を起こすということが起きました。ここで単なる民話で終わらずに、『コトリバコは女子供を呪い殺すと言うのは本当だった』『その箱が実在する』というふうになっていきました。

民話で終わらず、後日談的に、実際コトリバコが見つけられ、その話を聞いた女性や子供は腹痛を起こす、インターネットで見ても、メールで見てもそれは変わらないという都市伝説が生まれたのです。『人を呪わば穴二つ』と言いますが、コトリバコの話はその典型的なものではないでしょうか。

自分達が迫害されていた復習として、赤ちゃん子供を使った呪いを行い、自分達が作ったコトリバコに100年以上も縛られるのです。ある意味、戒めの意味もこめられているのかもしれません。


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